[2005.02.14]
  表情と接続性の気概


 ▼「着衣/裸体」写真展が人間の真の姿を写し出す(WIRED NEWS)
  http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050209201.html


 ヒューマン・ボディ・プロジェクトには,作っていない顔や身体は存在しない。いくときの表情も,すべて作り物に過ぎない。誰かと接する可能性があるときの顔は,素の表情と異なり,さらに,ある人を感じるためのウェープを発している。

quote:ハリウッドにあるエロティック・ミュージアムでは,ヒューマン・ボディ・プロジェクトを開始した。同プロジェクトは,さまざまな人が服を着たときと脱いだときの写真がコレクションされている。同プロジェクトの展示には,被写体自身が撮影した,自慰行為をしてオーガズムを感じている最中の顔の表情も含まれ,ハードウェアの用意ができ次第展示される予定だ。

 飾りのない,単なる裸体や表情をできるだけ表現しようとするのが,ヒューマン・ボディ・プロジェクトの意図と思われるが,果たしてそれは可能だろうか? よく,カメラを向けると顔が変わる,という人がいる。カメラ慣れしている人ほどそうなるかもしれないが,実は誰でも,ひとりで部屋にいるときと,誰かがいる場所とでは顔が変わるものだ。そして人は,誰にもみられていないときの顔を,自分でみることはできない。鏡をみればいいぢゃないかと云うかもしれないが,鏡に向かった瞬間に,すでに顔は誰か(鏡の場合は自分が)みるための顔になっている。つまり人は,まったくの素の表情と,誰かにみられる可能性があるときの顔の2種類を持っている。ワイヤードという空間と接しているときは,人は後者の顔をしている。チャットをしたり,メールを書いているようなときでなくても,そこに確実なつながりがあるため,人はその顔をはずすことができない。

 メールの受信音が鳴り,まだメールソフトのウインドウを表示していないのに,あの人からのメールだ,とわかることはないだろうか。それはなぜだろう? リアルワールドでも,背後にあの人がいる,と感じて,振り返ると確かにその人がいることはある。それは,その人のかすかな足音と空気の動きを感じ,その人の体臭や香水などのごくわずかな匂いなどを敏感に受け取り,そこからその人の顔を思い浮かべるからと云われる。だが,メールには足音もなければ匂いもない。せめてあるとしたら,この時間にあの人はよくメールを送ってくる,という経験則ぐらいだろうか。だがそこに確実性はない。その人のメールを待っている自分の心は,ひとつの要素になるかもしれないが,それも確実ではない。ではなぜか? そこにあるのは,ワイヤードに維持されている接続,かもしれない。目にみえる要素はないが,でもその人とのつながりは常に確実にある。わたしたち人間は,本質的にその接続性を知っていて,ワイヤードのなかでそれを敏感に感じ取っている,と,感じることができるだろう。

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